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渤海の漁業は相当の技術発展を遂げており

唐へ奉献した方物の中に「鯨魚睛」と称される鯨の眼球が含まれていたことから規模の大きい捕鯨までを可能とする段階に達していた。また各地の特産品として湄沱湖(現在の興凱湖)の鯽(フナ)や、忽汗海(現在の鏡泊湖)の「湖鯽」などが記録に残っており、この他文昌魚(鯉の一種)、鰉魚(チョウザメ)、大馬哈魚(鮭)、斑魚、鯔魚などが記録に残っている。

唐への朝貢記録には鷹、鶻が進貢されており、特に海東青は鷹狩りの珍品とされ、貴重な貢者として唐へ献上されていた。他にも太白山(現在の長白山)の兎や扶余の鹿などは特産品として『新唐書』に記録されている。また日本との関係で重要な地位をしめたものが貂である。日本の貴族間で珍重された貂皮は当時の日本における最先端ファッションとして受け入れられていた。
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発掘例は未だ確認されていないが、商品経済が発展していく中で渤海では貨幣が使用されていたと考えられている。それは大武芸が日本に送った国書の中で「皮幣」の文字を使用していること、873年に日本で貿易を行った際に、賜銭を得て日本の物産を購入していること、滅亡に際して耶律阿保機が「獲る所の器、幣」を将士に分け与えたことからも物々交換の段階を超え、貨幣が流通していた事を示すものと考えられている。

渤海は唐に対して何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事により渤海の上層部は儒教的な教養を得、それを元に国政に当たったと思われる。

前述したように日本との通使も行われており、初期は新羅・唐に対する軍事的な牽制の意味合いが強かったが後半になると儀礼的・商業的な意味合いが強くなっていった。実態は別として渤海からの使節を日本は朝貢であると認識しており、日本側は渤海側の使者を大いに歓待をしており、この財政的負担がふくらんだために後期では12年に1回と回数の制限も行われている(遣渤海使)。また、その際に日本との文化交流が積極的に行われている。一例として菅原道真と渤海の使者との間で漢詩の応酬が行われたとの記録がある。

宗教的には仏教の信奉が篤く、首都上京の遺跡からは多くの寺・仏教関係の建物が発見されている。

渤海文化は唐の影響が非常に強いが、高句麗文化の継承もされており、二つの文化から独自の文化を作り出している。

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2009年05月31日 09:43に投稿されたエントリーのページです。

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