2009年06月17日

バリアフリーへの対応

階段はその構造上、身体的障害を持っている人々に対して使用が不便であったり、危険を伴ったりすることがある。それらに対応するため、階段のバリアフリー化の例が見られる。 踊り場部に段差を設けないなどの決まりがある。

手摺り
階段の脇に概ね水平部は高さ1100ミリ以上、段部は高さ850以上で、腰の高さに設置される補助手摺(子手摺)などもある。
脚力の弱い高齢者をはじめ、足元が滑りやすいときなどに手摺りは使われ、体を支える補助の役割を持つ。
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スロープ
階段に近接する場所に、十分長いスロープが設けられることがある。
駐輪場へ自転車を移動させる場合、階段両脇にスロープを付けた階段も見られる。
階段昇降機
階段は車椅子で使用することは不可能である。そのため、車椅子に乗ったまま、あるいは座席に座った状態で階段の昇降をするための昇降機が設けられることがある。十分に広い階段において、踏み板にレールが設けられており、椅子または昇降台がレールに取り付けられている。
視覚障害者への対応
視覚障害者が階段を安全に利用できるようにするため、公共施設などの階段では、階段の入り口と出口の位置が点字ブロックで示されていたり、踏み台に黒字に赤色と黄色の線が描かれたテープが取り付けられていたりする。また、誘導チャイムが設置されているところもある。

記録 [編集]
世界最長の階段 - ギネスブックに掲載されている世界最長の階段は、スイスのSpiezの近くのNiesenbahn funicular railwayである。11,674段、1,669mの高さを持つ。
日本最長の階段 - 1996年現在、長崎県島原市「舞岳水源の森」内の「舞岳ふれあいロード」の8,888段。
日本最長の石段 - 熊本県下益城郡美里町 の釈迦院にある「御坂遊歩道」、3,333段。この石段が1988年に完成するまでは、山形県羽黒山の2,446段。

芸術のなかの階段 [編集]
永井荷風が小説の中で男女の出会いの場面に用いた。
宝塚少女歌劇の大階段は有名。
エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段」と呼ばれるシーン。
オードリー・ヘプバーン主演の映画ローマの休日のトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」。

2009年05月31日

渤海の漁業は相当の技術発展を遂げており

唐へ奉献した方物の中に「鯨魚睛」と称される鯨の眼球が含まれていたことから規模の大きい捕鯨までを可能とする段階に達していた。また各地の特産品として湄沱湖(現在の興凱湖)の鯽(フナ)や、忽汗海(現在の鏡泊湖)の「湖鯽」などが記録に残っており、この他文昌魚(鯉の一種)、鰉魚(チョウザメ)、大馬哈魚(鮭)、斑魚、鯔魚などが記録に残っている。

唐への朝貢記録には鷹、鶻が進貢されており、特に海東青は鷹狩りの珍品とされ、貴重な貢者として唐へ献上されていた。他にも太白山(現在の長白山)の兎や扶余の鹿などは特産品として『新唐書』に記録されている。また日本との関係で重要な地位をしめたものが貂である。日本の貴族間で珍重された貂皮は当時の日本における最先端ファッションとして受け入れられていた。
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発掘例は未だ確認されていないが、商品経済が発展していく中で渤海では貨幣が使用されていたと考えられている。それは大武芸が日本に送った国書の中で「皮幣」の文字を使用していること、873年に日本で貿易を行った際に、賜銭を得て日本の物産を購入していること、滅亡に際して耶律阿保機が「獲る所の器、幣」を将士に分け与えたことからも物々交換の段階を超え、貨幣が流通していた事を示すものと考えられている。

渤海は唐に対して何度となく使者を送り、それに付随して留学生を唐へ送り文化を吸収させ、持ち帰らせた。この事により渤海の上層部は儒教的な教養を得、それを元に国政に当たったと思われる。

前述したように日本との通使も行われており、初期は新羅・唐に対する軍事的な牽制の意味合いが強かったが後半になると儀礼的・商業的な意味合いが強くなっていった。実態は別として渤海からの使節を日本は朝貢であると認識しており、日本側は渤海側の使者を大いに歓待をしており、この財政的負担がふくらんだために後期では12年に1回と回数の制限も行われている(遣渤海使)。また、その際に日本との文化交流が積極的に行われている。一例として菅原道真と渤海の使者との間で漢詩の応酬が行われたとの記録がある。

宗教的には仏教の信奉が篤く、首都上京の遺跡からは多くの寺・仏教関係の建物が発見されている。

渤海文化は唐の影響が非常に強いが、高句麗文化の継承もされており、二つの文化から独自の文化を作り出している。

2009年04月27日

亜酸化窒素

亜酸化窒素(あさんかちっそ、nitrous oxide(ナイトラスオキサイド)、化学式 N2O)または一酸化二窒素(いっさんかにちっそ)は窒素酸化物の一種で、吸入すると顔が笑ったように引きつることから笑気ガス(しょうきガス)とも呼ばれる。
笑気は1772年、イギリス人の化学者ジョゼフ・プリーストリーが発見した。亜酸化窒素を吸入すると軽く酔ったような感じになることから、当時はパーティーなどを盛り上げるために使用していた。ところが1795年、こちらもイギリス人化学者のハンフリー・デービーが亜酸化窒素に麻酔効果があることを証明し、これから笑気麻酔としての用途が開けることになった。

常温常圧で、無色の気体。酸性である。香気と甘味がある。麻酔作用がある。水に溶けると次亜硝酸となる。窒素の酸化数は+1。

大気中にわずかに含まれ、濃度は約 310 ppb である。主な発生源としては、燃焼、窒素肥料の使用、化学工業(硝酸などの製造)や有機物の微生物分解などがあげられる。

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二酸化炭素の約300倍(100年GWP(100年間で発揮する温室効果))の温室効果ガスであり、京都議定書でも排出規制がかけられた。

日本では、安全衛生に関する規制はないが、米国では、長期間の職業的暴露により自然流産率が高くなるとの報告に基づき、通常の日8時間・週40時間労働の場合の環境濃度の上限が50ppmに定められている。〔参考:1994-1995 Threshold limit values for chemical substances and physical agents and biological exposure indices. Cincinnati, OH: American Conference of Governmental Industrial Hygienists〕

歯科治療時の鎮静用として酸素とともに吸入を行う。これにより麻酔注射やドリル研磨、抜歯等の恐怖心が緩和される。
手術の際の全身麻酔に用いる。詳しくは笑気麻酔の項を参照。
車のエンジン内に吸気して、爆発的なエネルギーを得ることが出来る。仕組みとしては、酸素を通常よりも燃焼室に押し込む事により馬力アップを図るもの。第二次世界大戦中に戦闘機に使用され、戦後暫く影をひそめていたがレースカーが使用を始め一般にも普及している。代表的な製品に「ナイトラス・オキサイド・システム (NOS)」などがある。

2009年04月12日

木星型惑星

木星型惑星(もくせいがたわくせい)とは、惑星を分類する場合の、木星と類似の惑星の総称。

21世紀初頭現在、なにを主体に類似とするかによって2通りの木星型惑星の分類がある。

サイズによる分類 [編集]
大きく、重い惑星を木星型惑星と分類する。太陽系では、木星・土星・天王星・海王星が分類される。いずれも地球より直径で4倍以上、質量で10倍以上のサイズであって密度は小さい惑星である。他の共通点として、多数の衛星と環を持つ。

組成による分類 [編集]
難揮発性のコアの周囲を液体もしくは気体の水素やヘリウムがとりまく構造の惑星を木星型惑星と分類する。太陽系では、木星・土星が分類される。

天王星と海王星も過去には類似の組成と考えられていたが、惑星探査が進んでガスと中心部との比率が詳細に調べられた結果、木星・土星とは組成が大きく異なることが判明した。そのため、木星と土星(巨大ガス惑星・Gas Giant:ガスジャイアント)のみを木星型惑星と呼び、天王星と海王星は天王星型惑星(巨大氷惑星・Ice Giant:アイスジャイアント)と分類する場合がある。

20世紀末以降は、太陽系外惑星として、主星に近い軌道を公転している、多数のホット・ジュピター(熱い木星型惑星)が発見されている。

特徴 [編集]
木星型惑星は主成分がガスで出来ており、密度は小さく、大きさが巨大である。地球型惑星のような固い地表はなく、中心部に近付くに従い、惑星を構成する水素ガスが圧力によって液状化し、さらに深くなるにつれ、水素は液体金属状態になっているものと考えられている。金属水素の層よりも下には地球の10倍程度の質量を持った、岩石や金属、氷物質などでできた中心核が存在するものと想定されている。また多くの惑星で環を持ち、衛星をたくさん従えている場合が多い。

また、その巨大さに由来する強い重力を持ち、これによって内部太陽系への彗星の侵入を阻止している側面が指摘されている。この説は木星へのシューメーカー・レヴィ第9彗星衝突が如実に示しており、この特性により、地球への致命的な彗星衝突が回避され、生命が長期間生存し進化できたという説もある。 この説において、木星や土星のようにハビタブルゾーンの外側に離心率の小さな軌道を持つ木星型惑星はグッド・ジュピターと呼ばれる。

木星の形成 [編集]
惑星の材料物質の残滓、あるいは形成途中で破壊された天体の残滓であると考えられる隕石の、放射性元素を用いた年代測定によって、今から約46億年ほど前に太陽系が形成されたと考えられている。

現在の小惑星帯より太陽に近い領域では、岩石や金属を主成分とした微惑星が衝突と合体を繰り返し、地球型惑星が形成された。一方、小惑星帯よりも遠い領域では、太陽からの距離が遠いため放射による太陽からのエネルギー輸送量が少なく、温度が低いため、水や一酸化炭素、二酸化炭素、メタンなどが凍った。これらは岩石や金属の総量を上回ったため、この領域の微惑星は氷が主成分となった。その結果、材料物質が増えることとなり、より大きな原始惑星コアが形成されることとなった。

原始惑星コアはその重力によって、周囲の原始惑星系円盤のガスを大気として引き寄せる。原始惑星コアの質量が地球質量の10倍程度を超えないうちは、大気はそれ自身の圧力に支えられて安定に存在している。やがて原始惑星コアの質量が地球質量の10倍ほどになると、大気が崩壊し始め、惑星の材料として付け加わるようになる。こうなると原始惑星コアは際限なく周囲のガスを取り込み、加速度的にその大きさを増していく。こうして、地球質量の300倍以上の原始木星ができた。

現在の木星は、形成時からの収縮が依然として続いていると考えられており、主として解放された重力エネルギーが原因となって、太陽から受ける放射エネルギーよりも多くのエネルギーを放出している。

惑星形成については、太陽系の形成と進化も参照されたい。

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2009年03月27日

ドイツ王兼イタリア王が皇帝に戴冠

神聖ローマ帝国は当初、ドイツ王兼イタリア王が皇帝に戴冠されて成立した。従ってその領域はドイツから北イタリアにまたがっていた。またオットー1世(大帝)は東のボヘミア王国に対しても宗主権を行使した。ボヘミアは帝国が消滅するまで帝国の一部であり続ける。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

また、1032年にブルグント王国の王家が断絶すると、1006年にブルグント王ルドルフ3世とドイツ王(のち皇帝)ハインリヒ2世の間で結ばれていた取り決めにより、ドイツ王・イタリア王はブルグント王も兼ねることとなった。ブルグント王国は現在のフランス南東部にあった王国であり、これにより神聖ローマ帝国の領域は南東フランスにまで拡大した。

13世紀半ば、皇帝不在の大空位時代を迎えて皇帝権が揺らぐと、ブルグントとイタリアは次第に帝国から分離した。ブルグントにはシャルル・ダンジューを初めとするフランス勢力が入り込んだ。イタリアの諸都市は実質的に独立を得ていき、のちにはやはりフランスが勢力を伸ばそうとした。皇帝位を世襲するようになったハプスブルク家は北イタリアからフランスの勢力を撃退し、この地域の支配を確立するのであるが、それは北イタリアが再び帝国の一部となったことを意味するのではない。北イタリアが帝国の制度に編入されることはなかった。

また、1648年のヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約)の結果、エルザス=ロートリンゲン(アルザス=ロレーヌ)のいくつかの都市がフランスに割譲され、スイスとオランダが独立した。この三地域は帝国から分離したのであり、北イタリアと同様、もはや帝国の制度外の地域となった。その後もフランスのエルザス=ロートリンゲンへの進出は続き、神聖ローマ帝国が消滅する1806年までにこの地域の全てが帝国から脱落することとなった。

2009年03月12日

リヴィウ

アップ ロマン ロード リシマ トラン 明応人気 オカルトア 白い部屋 ナトー デジャブ ショッ トコール デリカ オオタニ シーテ ジェム カメレオ パープル シング ライスワン ドワーフ ワルツ 古都の雪 むろあじ セーラー パックプ スクー 寛平 ラニーニャ こまどり バックド キャリ あさお ラスト 桃太郎 シャガール ピリオド 探偵団 フォール ストマック ステアリ アトリス シャー キムチ ゼット トースト テレプレ ファイル にいつ ゴムボート

リヴィウ(ウクライナ語:Львівリヴィーウ)は、ウクライナ西部の都市である。リヴィウ州の州庁所在地。

この町の名に関する名称や、その日本語表記にはさまざまなバリエーションがある。

現在の公用語であるウクライナ語名としては、リヴィウと書かれるほか、チェコ語名としてルヴフ(Lvov ルヴフ)、ドイツ語名としてレンベルク(Lemberg レンベルク)、ポーランド語名としてルヴフ(Lwów ルヴーフ)、ロシア語名としてリヴォフ(Львов リヴォーフ)と表記される。

文献上で圧倒的に多いのはロシア語風表記で、そのほかポーランド関係の書籍ではポーランド語風表記も多用されたが、近年はウクライナ語名で書かれることも少なくなくなってきた。現在はウクライナ語以外の言語は公用されないため、その他の言語はこの都市がほかの言語圏の国家によって支配された時代に限り、適正に使用される。

日本語の地図帳などでしばしば見られたリヴィフという表記は、ウクライナ語名をロシア語若しくはポーランド語読みしたと考えられる表記で、日本語での慣用でありウクライナ語名としては正しくない。また、ロシア語名をもとにしたローマ字読み風表記としてルヴォフが使用されることもあるが、これも正しくない。

1855年の山路諸孝の「重訂万国全図」の漢字表記は隣山となっている[1]。

リヴィウは、西ウクライナ・ハルィチナーの中心都市である。人口は約83万人。ポーランドとの国境から70km。

温暖な大陸性の気候で、1月の平均気温は-4度、7月の平均気温は18度。年間の降水量は660mm。夏季にはしばしば水が不足する。

歴史地区はユネスコの世界遺産に登録されている。

歴史
すでに5世紀にはこの地に人が住んでいたようである。大モラヴィア国(9世紀-10世紀)が滅んだ後は、ポーランド公国とキエフ・ルーシの角逐の場となった。981年にキエフ・ルーシのウラジーミル大公によって征服された。13世紀にはルーシ王国のダヌィーロ王によって都市が建設され、その息子レヴに因んで名づけられた。1256年の年代記にすでに都市として言及されている。

1386年にヤギェウォ朝ポーランド王国に服属する。ポーランド、のちにポーランド・リトアニア連合王国の支配下で、リヴィウは黒海とバルト海を結ぶ交易路の中継地として大きく発展した。17世紀はじめの人口は約3万人であった。

17世紀を通じて、リヴィウはウクライナ・コサックやスウェーデン、オスマン帝国などの相次ぐ襲撃を受けた。1704年には北方戦争でカール12世の率いたスウェーデン軍に占領され、町は破壊された。

1772年の第1回ポーランド分割によって、リヴィウはオーストリア帝国に帰属される。公用語はドイツ語とされ、ドイツ人やチェコ人が実権を握った。19世紀初めより、オーストリア帝国政府はドイツ化を強く推し進め、それに対して1848年には民衆蜂起が起こった。住民の請願は後に受け入れられ、1860年代には大きく自治が認められた。その後、リヴィウはポーランド文化の中心地としても、また、ウクライナ文化の中心地としても重要な都市となった。その時代、ウクライナのその他の地域はロシア帝国に支配されており、ウクライナ語による出版は禁じられていた期間が長かった。

第一次世界大戦で、1914年にリヴィウは一旦ロシア軍に占領されたが、翌1915年には再びオーストリア・ハンガリー帝国によって奪還された。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が消滅すると、1918年11月1日、西ウクライナ人民共和国の独立が宣言され、リヴィウはその首都とされた。

しかし、それに対してポーランド人の住民が蜂起し、都市の中心部を掌握した。ポーランド・ウクライナ戦争におけるポーランド人とウクライナ人の住民のあいだの戦闘は翌1919年7月まで続き、多くの犠牲者が出た。戦闘はポーランド軍の全面的支援を受けたポーランド側の圧勝に終わり、再びポーランドの支配が復活した。西ウクライナ人民共和国勢力の残党は、キエフやジトームィルを中心に国家を建設していたウクライナ人民共和国に政府を統合させたり、あるいは赤軍と合同してポーランドとの戦闘を継続した。

その後、ウクライナ人民共和国のディレクトーリヤ政府は、ロシアの赤軍に対抗するためにポーランドからの協力をとりつけた代わりに、ポーランドのリヴィウに対する支配を認めた。1920年のポーランド・ソビエト戦争では、武装した住民が市内に侵攻した赤軍を撃退した。しかしながら、ポーランドはウクライナを裏切って単独でソビエト側との講和に入った。1920年10月12日のリガ講和条約でソ連はリヴィウを含む一帯をポーランドに明け渡した。

第二次世界大戦において、1939年9月1日にポーランドに侵攻したドイツ軍は、その後まもなくリヴィウを包囲した。ポーランド兵の率いた蜂起は失敗し、町はモロトフ・リッベントロップ協定にもとづきソビエト連邦に引き渡された。1941年6月22日に始まった独ソ戦の緒戦で町はドイツ軍に占領された。

第二次世界大戦後、一帯はウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の領土とされた。その際に、ポーランド人の住民の大部分がポーランドに移ったとされる。それ以後、リヴィウはウクライナの民族文化の中心都市の一つとして、ロシア化への抵抗の牙城となった。

1803年以来東方典礼教会のひとつであるウクライナ・ギリシャ=カトリック教会の総本山がおかれたが、2005年8月、ウクライナ・ギリシャ=カトリック教会はキエフに本拠地を移した。

2009年02月23日

天空の星座を守護に持つ

聖闘士(セイント)
この世に邪悪が蔓延るとき、必ずや現れるといわれている希望の存在。女神アテナを守るため、聖衣(クロス)と呼ばれる超金属製の鎧を纏って戦う88人の闘士の総称。単に「聖闘士」と表記される場合は、「アテナの聖闘士」を指す。
自己の実力の及ばないところを天佑によって補うため、それぞれが天空の星座を守護に持つ。つまり88の星座それぞれに対応し、88人の聖闘士が存在するといわれる。それぞれの守護星座を称号として、○○○座(守護星座)の△△△(本名)と呼ばれる。
テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

聖闘士は、黄金聖闘士(ゴールドセイント)、白銀聖闘士(シルバーセイント)、青銅聖闘士(ブロンズセイント)の3階級に分けられ、広義では正式な称号を持たない雑兵も聖闘士と呼ばれることがある[6]。また何人かの黄金、白銀聖闘士の下では、素質を見込まれた多くの聖闘士候補生が修行している。88人の内訳は黄金12人(黄道十二星座座に対応)、白銀24人、青銅48人[7][8]とされる。実力は黄金>白銀>青銅と考えられているが、本人がどの階級の聖闘士になるかは、各々の聖闘士に生来宿命づけられている物とされ、実力が向上すれば聖闘士の階級が変わるということは、あまりみられない。よって青銅、白銀聖闘士でありながら、黄金に匹敵する実力を持つ聖闘士も存在する。星矢達主役5人がその典型であり、白銀聖闘士でありながら黄金聖闘士と同等もしくはそれ以上の実力者とされるオルフェやアニメのアルビオレも存在する。また、黄金聖闘士でも最強クラスに匹敵する実力を持ちながら、白銀/青銅聖衣すらも与えられず、サガの「影」的な存在に甘んじ、悪事に手を染めていたカノンのような例もある。しかし、「冥王神話ND」では、童虎とシオンが聖戦の勃発に際して青銅から、それぞれ天秤座と牡羊座の黄金聖闘士に昇格を任じられている。
アテナが武器を嫌い、それを持って戦うことを禁じているため、聖闘士となる者は修行で己の肉体を極限まで鍛え、原子を砕くという破壊の究極を身に付けており、己の中の「小宇宙(コスモ)」を燃やすことによって潜在能力を引き出し、想像を絶する破壊力を発揮する拳を持つまでに至る。そのため、その拳は空を引き裂き、その蹴りは大地を割ると伝えられている。
聖闘士は守護星座の形がそのまま自らの急所「星命点」となる[9]。
「聖闘士に同じ技は二度と通用しない」といわれる。確かに一撃目はなすすべもなくやられた強力な技に対しても、二度目は見切ってこのセリフを吐く(あるいは対戦前に一度技を見ていた場合など)という描写はよく見られる。
本来、聖闘士は女性であるアテナを守護する少年達という意味合いから、男性しかなることが出来ないが、女性が聖闘士となる場合、自ら女であることを捨てるため、常に仮面を被ること・素顔を見られた場合、素顔を見た人間を殺すか愛する、という2つの条件が課せられる[10]。
※原作では述べられていないが、実際に88人の聖闘士が集結したことはほとんど無いという[7]。聖戦に参加した人数は、本編より243年前に起きたハーデスとの前聖戦に参加した79人が最高人数とされる[7]。また戦神アレスとの聖戦に参加した聖闘士は58人だったという。
※アンドロメダ星座の星雲鎖(ネビュラチェーン)や地獄の番犬星座の鋼球鎖、カメレオン星座の鞭、鳳凰星座の尾羽(シャカに対して戦闘序盤に手裏剣のように使用)、御者星座の円盤(ソーサー)のように武器にしか見えない装備品を持つ聖衣もあるが、これらはあくまで下級聖闘士が上級聖闘士の任務を補助するため、もしくは自身の拳を振るう前の牽制用の装備品として位置づけられている[11]。天秤星座の聖衣には6種12個の武器が仕込まれているが、アテナの許可がなければこれらを使うことはできない。本編以前に使われたのはアレスとの聖戦時だけである。
雑誌での連載初期は、聖闘士を指す呼称として「○○聖衣」(例:星矢達を指して青銅聖衣と呼ぶなど)と呼んでいた。ジャンプコミックス初期では、修正されずそのままになっているが、後に出た文庫版などでは「○○聖闘士」と修正されている。
聖衣(クロス)
聖闘士が身にまとう防具。各々の守護星座の形を象ったオブジェ形態から分解・変形して、聖闘士の身体を包む防具になる。装着者である聖闘士の小宇宙の高まりに応じて重さと攻撃力が変化し、闘争心がないなど小宇宙が低いときにはただの重い防具に過ぎないが、小宇宙が高まることで軽くなり攻撃力も増す。聖衣は階級別に青銅聖衣(ブロンズクロス)、白銀聖衣(シルバークロス)、黄金聖衣(ゴールドクロス)の3種類があり、更にアテナの血を浴びることで(牡羊座のシオン曰く)「最強最後の聖衣」となり、ハーデスの結界の影響を受けず、神々しか通行できない超次元の移動が可能となる、神聖衣(ゴッドクロス、後述)へ進化するといった特別な能力を発揮する。
聖衣には生命があり、少しの破損なら自己修復できる。しかし、それができないほど激しく破損したり、長い間装着者が不在する期間が続くと死んでしまうこともある。死にかけた聖衣を復活させるためには、大量の聖闘士の血液が必須。ただし、鳳凰星座(フェニックス)の聖衣は例外で、徹底的な破壊を受けても唯一自己修復、自己進化機能を持つ。
連載中は、聖衣がどのような構造になっているかを詳しく解説した「聖衣分解装着図」が人気を集めた。
※原作では述べられていないが、聖衣は元々アテナが第一次聖戦時に海皇配下の海闘士(マリーナ)が纏う鱗衣(スケイル)に対抗して、天空の星座を設計図としてムー大陸の錬金術師たちによって作られたもの[12]。材料はオリハルコン、ガマニオン、銀星砂(スターダストサンド)を用いる。しかし、ムー大陸が沈没し、聖衣の制作、修復技術はほとんど失われてしまい、唯一、牡羊座の黄金聖闘士ムウだけが聖衣を修復できるのみとされていた。冥王との戦いで彼が戦死した後は、城戸沙織の命を受けたグラード財団が修復を引き継いでいるとされる[13]。
※なお、乙女座・水瓶座の黄金聖衣のデザインコンセプトは、読者からの公募作品による。
神聖衣(ゴッドクロス)
通常の聖衣がアテナの血を浴び、小宇宙を極限まで高めることにより誕生する。青銅、白銀、黄金の全てを超える限り無く神衣に近い防具である。形状は元となる聖衣の意匠を引き継ぎつつ神々しい装飾となり、全身を覆う形となる。また超次元を飛ぶための翼が生える、神の攻撃を受け止める程の防御力をもつなど、特別な能力を発揮する。眠りを司る神ヒュプノスの発言によれば、現代の星矢達5人が復活させるまでは、遥か神話の時代に1度見たことがあるだけという、まさしく伝説の聖衣。沙織曰く「まぼろしの形」であり、役目を終えると元の状態に戻る。
聖闘士カード(セイントカード)
聖闘士は、敵を倒したときに誰が倒したかを明らかにするため、自分の星座を示した札を倒した者の傍に置くことがある。これを投げることにより、遠くにある標的を攻めることも可能。基本的に殺傷能力はないが、カラスを打ち落とす程度のことは出来る。確認できたのは天馬星座と白鳥星座の二枚のみ。
聖域(サンクチュアリ)
ギリシャにあるアテナ神殿周辺の地域。結界で守られているため、一般の人間は立ち入ることができず、その存在すら知覚することができない。アテナ神殿にたどり着くためには十二宮の全てと教皇の間を突破する必要がある。
十二宮(じゅうにきゅう)
聖域にある黄道十二宮の名がつけられた12の神殿。アテナ神殿を守るための結界であり、それぞれを黄金聖闘士が守護している。頂上にあるアテナ神殿にたどり着くためには白羊宮から順番に上っていかねばならず、テレポーティションなどの間接的移動も不可能とされる。氷河がサガの幻影が繰り出すアナザーディメンションによって3番目の双児宮から7番目の天秤宮へ異次元経由で移動したほか、天秤座の黄金聖闘士である五老峰の老師(童虎)が、氷の棺に閉じ込められた氷河を救うために、中国からギリシャにある聖域の天秤宮まで、天秤座の黄金聖衣を弟子の紫龍たちの元にテレポートさせたケースもある。
アテナ神殿
聖域の頂上にある神殿。巨大なアテナ神像が安置されているが、この神像の正体はアテナの神聖衣である。
スターヒル
教皇のみが出入りを許されている、アテナ神殿よりもさらに奥にある禁区。鋭角状のひときわ高い丘に小屋が建っている。ここで星の動きを観測することで大地の吉凶を占う。
教皇(きょうこう)
聖闘士の総本山とも言うべき聖域を統治し、聖闘士の資格を与える者を見極めることを使命とする。アテナ不在のときは全ての聖闘士をまとめ、聖域にて補佐する、聖域の最高権力者。アテナ不在時の代理でもある。新教皇の選出は通常、黄金聖闘士の中から仁・知・勇を兼ね備えた者を先代教皇が直接後継指名することによる。就任後の黄金聖闘士は、その座を後進の者に譲り、十二宮の奥にある教皇の間において各地の聖闘士に勅命を下す。
聖戦(せいせん)
数百年に一度、アテナの聖闘士たちがその総力をあげて臨まなければならない戦い。前回の聖戦は243年前にハーデス率いる軍勢との間に起こり、勝利したものの生き残った聖闘士は2人だけだったという。
※原作では述べられていないが、設定によれば、全能の神ゼウスがアテナに全権を譲り失踪した後、アテナと他の神々との間で行われる地上の覇権をめぐる争い。また、乙女座の黄金聖闘士は代々、歴代の聖戦の記憶を受け継いでいるとされる[12]。

その他の戦士
暗黒聖闘士(ブラックセイント)
聖闘士の力を私利私欲のためだけに使用した結果聖闘士の称号を剥奪されたり、何年修行しても聖闘士になれなかった者たち。正統な星座の聖衣と同じ形状をした黒い聖衣・暗黒聖衣(ブラッククロス)を纏う。

氷戦士(ブルーウォリアー)
北極圏にある極寒の地ブルーグラードを守る戦士。聖闘士とほぼ互角の実力を持つ。
※原作では述べられていないが、設定では第一次聖戦後、北氷洋に封印した海皇の魂を監視するためアテナにより北極へ派遣された数人の聖闘士が、現地で定住して一つの国家を築き上げ、その子孫たちが氷戦士だとの説がある[12]。

その他の神々の軍勢
海闘士(マリーナ)
海皇ポセイドンを守る七つの海から集められた屈強なる海の戦士。海の神獣、魔獣の姿をした鱗衣を纏う。

冥闘士(スペクター)
冥王ハーデスを守る108人の魔星に選ばれた冥界の戦士。

オリンポス十二神
全能の神ゼウス率いる選ばれた神々による天界軍。その身には神衣(カムイ)を纏い天闘士を率いる。
天闘士(エンジェル)
オリンポスの神々を守る天界より遣わされし天空の戦士。

狂闘士(バーサーカー)
戦神アレスに仕える破壊と殺戮を撒き散らす狂乱の戦士。「炎」「火」「恐怖」「災難」の四つの軍団からなる。
過去にアテナの聖闘士たちが聖戦を戦った相手とされており、本編には登場しない。

能力に関するもの
小宇宙(コスモ)
登場する闘士たちは、「小宇宙」と呼ばれる体内の宇宙的エネルギーを燃焼させて繰り出す闘法が特徴で、拳で空を引き裂き、蹴りで大地を割るほどの威力を誇る。小宇宙は主に精神力・集中力などに比例・呼応して高まる。そのため六感(五感 + 第六感(直感))のいずれかを意図的に封じるなどしてこの助力とし、爆発的に小宇宙を増大することもできる。が、実際に目を潰したりすると戦闘時の支障が非常に大きく、かと言ってただ目を閉じたりするだけでは余程の修練を積まない限り大した効果を発揮せず、かえって逆効果にもなりうる。上級の闘士となれば小宇宙の爆発により星々をも砕く破壊力を生み出したり、相手の肉体のみならず精神までも破壊したり、冥界・異次元などの異空間へ相手を放逐するといった超絶的な技も存在する。
第七感(セブンセンシズ)[14]
「第六感」を越える「第七感」(七識、末那識とも言われる)。目覚めた者は小宇宙を最大限まで増幅することができるが、それが可能なのは聖闘士の中でも少数(黄金聖闘士は全員)である。
第八感(エイトセンシズ)[15]
「第七感」を越えた「第八感」である「阿頼耶識」(あらやしき:八識ともいう)に目覚めた者は生きたまま地上界と冥界を行き来することが出来る。
ハーデス編に入った時点で阿頼耶識に目覚めていた聖闘士はシャカ一人だったが、その後、彼以外にもアテナ、冥界に突入する時点でシャカ以外にも存命していた黄金聖闘士5名全員(ムウ、アイオリア、ミロ、カノン、童虎)と、青銅聖闘士5名(星矢、紫龍、氷河、瞬、一輝)が、次々と阿頼耶識に目覚めて、皆が生きて冥界にたどり着いた。白銀聖闘士オルフェも冥界で生存していた。

2009年02月07日

永続革命論

永続革命論(えいぞくかくめいろん)とは、レフ・トロツキーがロシア出身のドイツの急進的な革命家パルブス(「革命の商人」という異名を持つ)とともに提起した後進国における革命理論。永久革命論ともいう。
せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

レーニンが、ロシアにおける当面の革命を労農独裁による帝政の打倒を目指す民主主義革命であり、その後にプロレタリア革命を目指すという二段革命論を唱えていたのに対し、トロツキーは若きマルクスがドイツにおける革命のスローガンとして共産主義者同盟中央委員会回状(1848年)の中で提起した「永続革命」をとりあげた。彼は、一般に後進国においては、ブルジョアジーはその後を追って登場したプロレタリアートへの恐怖のために民主主義革命を遂行する能力はなく、したがってプロレタリアートにしか民主主義的任務も遂行できないと主張して、プロレタリアートによる即時の権力奪取を呼びかけた。後年、ソビエトからの追放後に執筆した「ロシア革命史」では、このような後進国におけるブルジョアジーの政治的無力とプロレタリアートの主導性の根拠として、「複合的発展の法則」(「結合発展の法則」ともいう)を指摘している。これは、後進国は先進国の発展をただ単純に繰り返すのではなく、先進国の進んだ技術や思想を取り入れることによって、飛躍的な発展が可能であるということを指している。ヨーロッパにおける後進国ドイツが、瞬く間にイギリスやフランスに追いつき追い越した例や、明治以降の日本の急速な近代化、最近では韓国などのアジア NIES 諸国の発展なども、彼の言う「複合的発展の法則」の正しさを示しているといえるだろう。このような彼の歴史観は、彼の政敵スターリンの五段階発展論(唯物史観)に典型的に見られる図式主義と比べると、歴史のダイナミズムをはるかによく捉えたものである。

レーニンは、トロツキーの永続革命論は農民を無視し歴史を飛び越すものであると非難し、二人の間には激しい論争が繰り広げられた。しかし、二月革命(ロシア革命)が起きると、レーニンは亡命先のスイスから帝政の崩壊によって民主主義革命は終了したとして、権力掌握に消極的なボルシェビキの国内指導部(カーメネフ、スターリンら)を批判して蜂起を主張し、帰国すると有名な四月テーゼを発表した。従来のレーニンの二段階革命論に固執した弟子たちは、レーニンの主張の急変に驚き、蜂起はブルジョアジーを革命からしり込みさせて革命を敗北に導くとして反対する中で(カーメネフとジノヴィエフは最後まで反対した)、唯一トロツキーだけがレーニンのテーゼを支持した。これによって、レーニンは革命論においては実質的にトロツキーの理論に近づき、一方トロツキーは「何をなすべきか」に示されたレーニンの組織論を受け入れて、二人の協力関係が成立しレーニンの死までその協力関係が揺らぐことはなかった。古くからのボルシェビキがしばしばトロツキーを疑惑の目で見た中で、レーニンはトロツキーこそ最良のボルシェビキであるとして、終始信頼し擁護していた。

しかし、レーニンの死後、スターリンによってレーニンとトロツキーの論争は意図的に歪曲された。トロツキーの永続革命論や世界革命論は、あたかも極左主義的、反レーニン的で農民を無視する観念的な理論であるかのように非難されてきたが、ロシア革命の中で極端な攻勢理論や革命の輸出をもくろむ革命戦争派やボルシェビキ左派などの空論家たちとレーニンとともに最も熾烈に戦ったのはトロツキーである。

中国革命においても、スターリン指導部は旧来の二段階革命論に固執して中国共産党の自立的な活動を否定した。中国国民党こそが革命の原動力であるとして蒋介石を礼賛して、中国共産党の国民党への従属を主張した当時のコミンテルンに対して、トロツキーは後進国におけるブルジョアジーの革命に対する無力さを指摘して革命におけるプロレタリアートと共産党の主導性を強く主張し、さもなければ革命は失敗するだろうと強く警告した(トロツキー「中国革命論」)。事実、北伐を開始した蒋介石はクーデターを起こして共産党に対する弾圧を開始して実権を掌握した。しかし、彼の政権下では、外国勢力や各地の軍閥、封建的な地主階級の勢力は温存され、革命は民主主義的革命としても不徹底なままに留まった。これに対するその後の毛沢東による中国革命の成功は、ある意味でトロツキーの永続革命論の正しさを立証したとも考えられる。しかし、あくまでも都市プロレタリアートの主導性を強く主張する彼の理論と、農民の役割を重視した根拠地戦略(農村から都市へ)という毛沢東主義とは根本的に性格が異なっている(毛沢東の戦略には、もちろん一定の正当性が存在するがここでは詳述しない)

トロツキーの言う革命の永続性とは、当初の民主主義的革命から社会主義的革命へ中断することなく突き進むということを意味しており、その主導権は当初からプロレタリアートが担うべきであると、彼は主張している。しかし、後進国において仮にプロレタリアートが権力を奪取したとしても、そのことがただちに社会主義の樹立を意味するわけではない。後進国においてはプロレタリアートの権力奪取は容易ではあっても、社会主義の建設は先進国の革命による援助なしには不可能であるというのがトロツキーの立場である。

今日、永続革命と並んでトロツキズムの柱とも評される世界革命とは本来レーニンも含めたすべてのマルクス主義者の共通の理念であった。資本主義の発展を踏まえた社会主義は当然世界的な関係においてしか成立し得ないのであって、一国社会主義という理論はレーニンの死後にスターリンがレーニンの片言隻句を元に作り上げた理論である。

ちなみに、トロツキーの永続革命論と資本主義復活の阻止を掲げた毛沢東の文化大革命(不断革命論)とはまったく関係ない。本来、マルクスの思想によれば、社会主義社会とは階級対立はもちろん、政治的国家、したがってプロレタリア独裁政権自身も消滅した段階を指すのであって、資本主義の復活を阻止するための階級闘争など存在する余地はないのである。

トロツキーを含めた伝統的なの理論では社会主義また、彼の永続革命論は労農民主独裁からプロレタリア独裁へという二段階革命論に対して、当初からプロレタリア独裁の樹立を目指すという点で一段階革命論と呼ばれることもある。

正確に言えば、政治的には一段階であるが、革命の社会的内容については「民主主義的任務」から「社会主義的任務」への二段階論であるといえる。

2009年01月22日

単一民族国家

単一民族国家(たんいつみんぞくこっか)とは単一の民族からなる国家のことである。言い換えると少数民族をもたない国家という事である。対義語は多民族国家である。ただし他民族が存在していても単一の民族の文化や言語や価値観を前提として国の執政がとられる場合も単一民族国家であると捉えることができる。

英語においては単一民族国家はNationStateと呼ばれる。この場合のNationとは文化、言語、価値観を共有する民の意味である。日本ではNationが国民と訳されるがこれは日本においては国家と民族が同一という前提が存在するからである。世界的観点から見ると日本のような例は稀で複数の民族からなる国(例アメリカやアフリカ諸国)や一民族が複数の国家として乱立している場合(例、中東アラブ諸国)や国家を持たず別々の国に散らばっている民族(クルド人)などいろいろな例が存在する。ユダヤ人は同じNationに属するがほとんどのユダヤ人は別々の国の国民である。他にもギリシアのギリシア人とキプロスのギリシア人は別の国民であるが同一のNationであるとされる。またアラブ民族による統一国家を形成しようというArab Nationalismはアラブ民族主義と訳される。つまりこの場合におけるNatioは民族と訳するほうが正しい。Nation Stateは国民国家と訳されることがあるがこれは国民=一民族という日本独特の前提においての誤訳である[要出典]。より正確な訳は(単一)民族国家となる。

単一民族国家の例
大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、アイスランド、ポルトガル、アイルランド、アルバニア、ポーランド、イエメン他、南太平洋諸島のポリネシア系の島国などが、同一民族の割合が全人口の大多数(約95%以上)を占める国家であることから、実質上の単一民族国家と呼ばれることが多い[要出典]。

一方で上記のような実質上の単一民族国家だけでなく一民族主義が国策として制定されている民族国家も多く存在する。その極端な例としてあげられるのは中国で、多民族国家でありながら漢族を含めた複数の民族を中華民族をという観念に基づき一民族とする国策を実施している。[要出典]同じようにフランスやトルコなどは民族主義が憲法に規定されているため非フランス系や非トルコ系(クルド人)などの異民族に対する同化主義が国策として奨励されている。近年のEUでヨーロッパ地方言語・少数言語憲章が作成されたがフランスの最高裁判所はこれを批准することは違憲であるとの判断を下している。また中東の幾つかの回教国では回教徒以外の帰化を認めていないばかりか回教の理想とするアラブ語およびアラブ文化が国政に組み込まれているため民族と宗教が融合した単一民族国家となっている。またポーランドのように第二次世界大戦前はドイツ系、ユダヤ系、ウクライナ系の少数民族を多く有した多民族国家であったが第二次大戦のナチスによるユダヤ人虐殺、ドイツ系国民の強制追放などで現在ではポーランド系が97%の単一民族国家となっている。イギリスはイングランド王国がウェールズやスコットランドやアイルランドを吸収合併あるいは征服することにより拡大した経緯によりイングランドの文化を基礎としているが、建前上は、スコットランド、北アイルランド、ウェールズという枠組みを残した「連合王国」としての国体を保った。サッチャー政権以降、スコットランドやウェールズでは政治的な独立運動が盛んであったが、近年は世界金融危機の影響で独立派の影響力は低下している。

現在は交通や交易が発達し、国家間の移住が容易に可能になったため、純粋な意味での単一民族国家は存在しえない。例えば以前は単一民族であったアラブ諸国は原油発見以降に多数の回教徒系の外国人労働者を導入したため現アラブ諸国の多くは単一民族国家であるとはいえない。例えばクウェートの全人口三百万強のうちクウェート国籍を有するものは百万人。民族別の内訳は57%がアラブ系、39%がインド系、残りがベドウィン系であるとされている。

争点
ヨーロッパ史の中世における戦乱が終息した理由の一つとして民族国家の台頭が理由の一つにあげられる。日本でもよく指摘される論であるが文化や価値観を共有する共同体として国が存在することは国政の安定に繫がるとされる。特にアフリカ諸国の国境は前植民地宗主国の都合で引かれたため国と民族の統合性が全く欠如しておりこれがアフリカ諸国の政情不安定の一因であることはよく指摘される。とくに近代に出現した民主主義は究極には多数決制であるため少数民族には圧倒的に不利な制度であり、これが少数民族の独立運動につながり内乱の原因となっていることも指摘されている。またアフリカ人の奴隷を多量に輸入したアメリカや戦後に多くの移民を安価な労働者として受け入れたヨーロッパ諸国ではこれらの少数民族の住居地区の多くがスラム化している。高い失業率と犯罪率による治安の悪化、生活保護に対する出費ための財政圧迫、また場合によっては大規模な暴動が発生する原因となっている。また近年のコソボやグルジアのようにこれらの少数民族が独立運動をおこすことによって国家主権が脅かされる場合も存在する。

しかしながら、どの国においても少数民族や外国人がたとえ少数ながらも存在しており、国政に多数派の価値観や文化や利権が組み込まれると結果として少数派には不公平な状態、あるいは少数派民族の人権が著しく損なわれる事態が発生することが問題点として指摘されている。その最も極端な例がドイツに出現したナチズムで、ナチス党が独断で決定したドイツ民族の定義に見合わないドイツのユダヤ人、ジプシー、同性愛者、障害者が多量に虐殺されただけでなくこれが民族覇権主義と具現化して東欧を侵攻。膨大な数の東欧の人民が虐殺されている。これほど極端でなくとも民族主義に基づき少数民族の人権を弾圧する国家は多く存在する。また先進国においても国体の保護の名目の元に少数民族の文化権を制限する、あるいは同化を奨励する国は多い[要出典]。また日本のように歴史や地理上の条件から自然に単一民族国家である国でも単一民族国家という言い方が少数民族の軽視につながるとして、単一民族国家という言葉・概念が批判的にとられることもある。日本での「単一民族国家思想」への代表的な批判者としては、小熊英二が挙げられる。

現在では近代文明の発展による移民の増加によりあらゆる国で多民族化が進んでいる。これらの少数民族の存在が国政の安定を脅かさすのではないかという危惧はあらゆる国で議論されている。ヨーロッパでは他の人種や民族を平等に扱うことは人権や自由・平等主義の観点から奨励しているが回教は自由主義や人権主義と相容れないものではないかとの危惧が存在する。右翼や保守の論客はヨーロッパが「ユーラビア」(ヨーロッパとアラビアの合成語)に変質すると警鐘を発するものが多い[要出典]。このような課題の対策として(時に強制的な)文化的同化政策を実施しているフランスや中国やトルコやシリアのような国もあれば[要出典]人種や民族や文化にとらわれない価値観によって国の基礎を固めようとする国も存在する。
トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの

アメリカ合衆国やアフリカ諸国などでは多民族国家が前提となっているために憲法や人権などが国政の基盤になっている。アラブ諸王国ではイスラム教が国政の基盤となっている。タイでは国王に対する忠誠さえあれば華僑であろうとベトナム系であろうと出生を問わないことになっておりタイの前首相のタクシンは客家出身である。また近年アメリカの大統領選挙に当選したオバマ氏の父はアフリカのケニア人でありバラック・フセイン・オバマは回教徒の名前である。世界各国でのオバマ氏の人気が高まったのは移民出身の黒人である彼の大統領当選がアメリカの理想を象徴していることが一因としてあげられる。ちなみにアメリカ合衆国の建国以来の標語はラテン語でE pluribus unum、英語で"Out of many, one."。日本語では「多から一つへ」と訳されている。

各国の事情

日本
日本は、大和民族が人口の大多数を占める。「一民族、一国家、一言語の日本」の類の発言は政界や言論界で時折語られる見解である。一方で少数民族と言われる集団も少数ながら存在し、それと看做される集団もまた存在する。(日本の民族問題、少数民族等を参照の事)

前述したように民族国家と関連する民族主義に対する嫌悪感から日本を単一民族国家と呼ぶこと自体を非難する見解が根強く存在する。この場合は少数民族の存在を指摘して「純粋」な意味では日本は単一民族ではないとの主張が展開される。{要出典項目|一方で人口のほとんどが大和民族である日本は「実質上」の単一民族国家であり「純粋」な定義を適用すれことは詭弁であるとの反論もある|2009年1月10日}}。この場合に議論になるのは主としてアイヌの存在および過去にとられた土民同化政策の功罪、琉球文化と大和文化の相違点、および在日朝鮮韓国人の地位問題などである。

実際に日本が単一民族国家(Nation State)の典型であるとの認識は内外で見られる。しかし日本国内で日本を単一民族国家と表現すると少数ではあるが実在する少数民族を軽視(無視)しているとして批判が展開される。ただし「日本は単一民族国家」の類の発言はあくまでも制度や国家に対する言及であるという面もあり、その正当性には議論の余地がある。その点で「日本に異民族は存在しない」や「日本に人種差別の問題は存在しない」の類の発言は明らかに事実と異なる。この場合にアイヌや在日の団体が抗議を表明するのは当然であるといえる。もっとも、「日本に少数民族は存在しない」ことは長く日本政府の公式見解であった。

これは後述の中曽根発言の際も行われたもので、国際人権条約で問われている意味での「少数民族」にアイヌは当たらない、との見解を示し、単一民族発言との整合性を取ろうとしていた。

2009年01月15日

春の日の 霞める時に

マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト

読み下し:春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の 我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ

大意訳:水の江の浦島の子が7日ほど鯛や鰹を釣り帰って来ると、海と陸の境で海神(わたつみ)の娘(亀姫)と出会った。二人は語らいて結婚し、常世にある海神の宮で暮らすこととなった。3年ほど暮らし、父母にこの事を知らせたいと、海神の娘に言ったところ「これを開くな」と篋(くしげ・玉手箱のこと。もともとは化粧道具を入れるためのもの)を渡され、水江に帰ってきた。海神の宮で過ごした3年の間に家や里は無くなり、見る影もなくなっていた。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ常世との間に白い雲がわき起こり、浦島の子は白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。

「浦島太郎」という名前は中世から登場し、それ以前は水江浦嶼子を略して「浦島子」と呼ばれている。

『御伽草子』
「浦島太郎」として現在伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、竜宮城、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。

浦島太郎は丹後の漁師であった。ある日、釣り糸に亀がかかったが、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に漕ぎ寄せて自分はやんごとなき方の使いとして太郎を迎えに来た。姫が亀を逃がしてくれた礼をしたい旨を伝え、太郎はその女人と舟に乗り大きな宮殿に迎えられる。ここで姫と3年暮らし、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分は実は太郎に助けられた亀であったことを明かし、玉手箱を手渡した。太郎は元住んでいた浜にたどり着くが、村は消え果ていた。ある一軒家で浦島何某の事を尋ねると、近くにあった古い塚がその太郎と両親の墓だと教えられる。絶望した太郎は玉手箱を開け、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去った。

『御伽草子』では竜宮城は海中ではなく、島か大陸にあるように書かれている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。